写真と心の中に刻まれた、ある日の旅のワンシーン…
鉄道と列車、駅舎巡り、エアラインと言った乗り物系の他、旅で訪れた街の風景、気になるモノ、宿泊したホテルなんかも綴った旅行記ブログ。日本全国、たまに海外へ…
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一週間程前ですが、東北の方に行ってきました。駅巡りをメインにした旅だったのですが、東北地方など寒い地方は、私が特に好む木の質感を存分に残した昔ながらの木造駅舎というものは少なく、やや面白味に欠ける感があるのですが、それでもいろいろ見ていると興味深いものがいくつもありました。
寝台特急あけぼので青森まで一気に北上すると、すぐに引き返すように南に進路を取ります。まず2010年12月の東北新幹線八戸‐新青森間の開業で、青い森鉄道に移管される東北本線で南下し、移管済みの青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道を通り盛岡に行きます。
この区間はまだ東北本線だった十数年前、12系客車で青森から盛岡まで乗り通した事があります。とても長かったという印象で、窓から差し込む陽射しに眠気誘われ気だるい旅路だっと、今でもよく覚えています。
まずJR東日本・東北本線の下田駅で下車しました。白くまぶしいほどの造りは、新建材等できれいに改修されたゆえですが、回廊のように付け庇を巡らした様が、昔のからの木造駅舎さながらです。
八戸駅からはいよいよ東北本線から第三セクターに移管された青い森鉄道区間です。入線していた列車相互乗り入れしているIGRいわて銀河鉄道の7000系電車。ロングシートメインですが、ごく一部が向かい合わせのクロスシートになった変った座席配置でした。
まず古い駅舎が残る諏訪ノ平駅で下車しました。今では数両の電車が発着するだけですが、カーブがかった長いホームは、国鉄本線の威光がいまだに漂っています。もう使われなくなった端部分は荒れ、草むらと化していました。その中に何やら怪しげな構造物が姿を覗かせていました…。
よく見ると、それは枯池!池の中心でそそり立つ一本の岩は、仏教では世界の中心とされる須弥山を模したのでしょうか…? その奥に本堂と三重の塔がそびえています。そして本堂にはまばゆい金色の輝きを放つ仏様がいらっしゃいました。
池の側の岩に、ペンキで書かれた名所案内なる石碑がありました。どうやらこの池庭跡は駅から5~6km程離れた所にある法光寺とその三重の塔を模して作られたようです。
(※関連ページ: 駅と駅舎の旅写真館・諏訪ノ平駅の枯池」)
諏訪ノ平駅、駅舎は立派な木造モルタルです。蛇足ですが駅舎正面の出入り口横にも枯池がありました。
次はひと駅戻って剣吉駅で下車しました。時間があったので駅前を歩いてみました。
車がすれ違える程度の細い道幅の商店街…
モルタルか何かで「町」と形づくられた文字が壁にある気になる木造建築。商家か何かだったのでしょうか…?
ホーロー看板が何枚も貼られた「看板屋敷」な木造家屋
…と昔ながらの駅前の風情をふんだんに残した街並みを楽しみました。
奥中山高原駅の木造駅舎は、高くて少し反り返った屋根が神社を思わす個性的な造り。ホーム側の軒下は、元々、壁や窓でしっかり覆われた風除室だったのですが、夏のためか窓を取っ払っているのが開放的で、白い塗装が爽やかな雰囲気。高原という響きにぴったりな駅舎です。
個人的に気になったのが、駅構内外れにあった古めかしい木造建築物2棟。駅員宿舎跡、詰所跡と思われますが、今は使われていないようです。昔の駅の風景を伝える木造建築物は、このまま朽ちさせるのがもったいないほど風格ある佇まいでした。
この日最後に下車したのが渋民駅。もうすっかり暗くなっていました。石川啄木の出身地として有名ですが、もこの時間に訪ねる旅行者はさすがに皆無。木々に囲まれた奥まった場所にある駅には住民の姿さえまばらでした。
駅は信号所として開設され、1950年(昭和25年)に旅客駅に昇格しました。木造駅舎は信号所時代からのものを流用しているのでしょうか…?後に利用者が増加したのか、本屋の正面にもう1棟付け足したようなやや強引に思える増築でした。狭い敷地で苦心の跡が伺える駅舎です。
[2010年8月訪問]
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