写真と心の中に刻まれた、ある日の旅のワンシーン…
鉄道と列車、駅舎巡り、エアラインと言った乗り物系の他、旅で訪れた街の風景、気になるモノ、宿泊したホテルなんかも綴った旅行記ブログ。日本全国、たまに海外へ…
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東北旅行3日目、山形県の神町駅(JR東日本・奥羽本線)に寄る予定を立てていたのですが、東根駅で予定外に下車してしまったため、神町駅に着いたのはすっかり暗くなってからでした。
5年振りに訪れた木造駅舎は、相変わらず武骨で威風堂々とそびえるかの如し。
敗戦後の占領下、1947年(昭和22年)に建てられた駅舎には、RTO(連合軍鉄道運輸司令部事務所)が置かれ、その面影は今でも色濃く残っています。
夜のムードある駅舎の写真を撮れたらと思い、夕方~夜の時間帯に初めから訪問するつもりでしたが、駅舎横の街灯の光が強かったのが想定外で、フレアーやゴーストが出たりと四苦八苦・・・。そういう訳で、駅舎は素晴らしくても少々消化不良気味で、翌日も訪れる事にしました。
そして翌日、炎天下の中、再び神町駅に降り立ちました。
「あ・・・、あ、あ!扉が開いている。」
何と!RTOの扉で進駐軍の将官達も出入りしたという扉が開いています。占領時代の生々しい歴史が扉を開け、今まさに私に迫ってきている…。それは衝撃でもあり、荘厳ささえ覚える光景でした。その時代の中に身を投じるように、中に入ってみたいという欲求は抑えられません。
しかし、そもそも何で扉が開いているのかと不思議に思いました。辺りをよく見ていると、清掃業者の人が駅の掃除をしていて、どうやら清掃用具が内部のRTO跡に置かれているので、掃除の最中、この扉が開けられているようです。
さすがに勝手に入ってはいけないので、許可を得て入口から中の様子をちょっと見せてもらいました。
その内部とは・・・。
~大きな駅舎の約半分を占めるその室内は、色々な物が雑然と置かれ、今では倉庫として利用されているのがわかります。ですが、内部はRTO撤収時のままなのではと思わせる程古い造りを留めていました。室内は待合室と同様に吹抜けで、片流れ屋根の高い方は、2階分の高さのあるかなり余裕のある空間が広がっていました。てっきり2階建てになっていると思っていました。床は木の板張りのまま。特に印象的なのが吹抜けではないホーム寄りの方の天井が、洋風の造りを残していて、天井からは真鍮と思しき照明を吊り下げる棒が2本付いたままでした。電球と言った照明の類は今は付いていませんでしたが。駅舎正面に「JIMMACHI STATION」と緑色で駅名が表示されている部分があります。その下の、ダイヤ状チェック模様が入った窓をこうして室内から見ると、陽射しで透け、チェック模様が浮かんでいるのは、やはり不思議な雰囲気でした。~
もっとじっくり・・・、できれば奥深く入ってつぶさに見ていたい所ですが、程々の頃を見計らい切り上げました。ちょっと見ただけですが、それでも往時の様子を色濃くとどめ、なお佇む空間に感動すら覚えました。
こんな大柄な駅舎ですが、神町駅は今では無人駅となっています。そのまま佇んでいる姿も風情がありますが、往時を伝える歴史の生き証人だけに広々とした空間がもっと有効活用されてもいいのではと思いました。
(※関連ページ: 駅と駅舎の旅写真館「神町駅訪問記」)
[2010年8月訪問] (山形県東根市 )
この神町駅の駅舎は残念ながら2017年(平成29年)9月下旬に使用停止、そして惜しまれながら取り壊されたしまいました。
(⇒関連記事: さようなら神町駅駅舎、惜別訪問の旅)
実は、運良く神町駅の内部を見られた時、何枚か写真を撮影していました。一般人には閉ざされた場所なので、あえて写真は公開していませんでした。しかし、駅舎が取り壊され、はや1年が過ぎもう時効?? かもしれませんので、まあ公開してもいいかなと思い、画像を掲載する事にしました。
[2018年10月]
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