写真と心の中に刻まれた、ある日の旅のワンシーン…
鉄道と列車、駅舎巡り、エアラインと言った乗り物系の他、旅で訪れた街の風景、気になるモノ、宿泊したホテルなんかも綴った旅行記ブログ。日本全国、たまに海外へ…
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今年2015年最初の旅はどこに行こうか迷っていました。あれこれ考えていたのですが、決定打に欠き、決断には至りませんでした。
しかし、2月初旬、長崎県、島原鉄道の南島原駅駅舎が2月16日から取壊し工事に入る事になり、その直前の2月13、14、15日の3日間、特別公開される事になったというニュースが入ってきました。
幸いにも13日は仕事が休みなため「これだ!!」と思いました。この機会に見たいJR九州の駅をいくつか絡めてプランを作成しました。折角の九州旅行なので、もっと事前に知っていたら、1泊2日でじっくりまわれたのですが、ほぼ日帰りという強行軍なのが致し方ない所。しかし、1日でも合ったのが幸運というべきなのでしょう。
少しでもコマを進めておこうとばかりに、仕事が終わると前日夜遅くに大阪入りしました。しかし、当日では新大阪駅近辺のホテルに全く空きが無く、ネットカフェ泊まりとなってしまいました。やや波乱含みの旅立ち…
新大阪駅から6時発の九州新幹線直通のみずほ号の1番列車に乗り一路熊本へ。そしてJR鹿児島本線の普通列車に乗換え、4駅の松橋駅で下車しました
これは昭和の劇場か!? あるいは基地か倉庫かという堂々たる大きさを誇る松橋駅の木造駅舎。小駅の1つとしては広い面積を持つのですが、ホーム側から駅舎正面に向かって屋根が高くなる方流れ屋根の造りで、正面は2階建て分の高さがある威圧感さえ漂わす木造駅舎。1948年(昭和23年)の戦後築で、その前年に建てられた奥羽本線の神町駅駅舎と不思議と似た雰囲気を持っています。
南島原駅だけでなくこの松橋駅の駅舎も取り壊しが決まっていて、駅舎正面右側3分の1にはプレハブ小屋が立ちはだかり、その右隣では仮駅舎の建築中でした。
大仰で武骨なつくりは、洒落っ気や素朴さはありませんが、強烈な印象を感じさせ、古びた駅舎は不思議な味わいを感じさせます。
次にここを通る時、この駅舎は無いと思うと、余計に離れ難いですが、次は南島原駅に向け海を渡らなければいけません。熊本港‐島原外港間の高速フェリーに乗るのですが、熊本駅に戻りバスで熊本港に行くという一般的なルートでは、時間が掛かり過ぎてしまいます。
しょうがないので、ここは松橋駅からタクシーで直接熊本港に行くしかありません。十数キロ離れていてタクシー代は5000円掛かりましたが、そこは時間を優先。
そして熊本港から30分の船旅で有明海を渡り島原へ上陸しました。とても近く熊本港から…と言うかタクシーの車内からでさえも、雲仙普賢岳をいただいた島原の姿を見る事ができました。雄大な普賢岳に抱かれた…、と言いたい所ですが、甚大な被害をもたらした災禍を思うと、そう言うのも恐ろしいよう念を感じながら眺めていました。
島原港からは徒歩で島原鉄道の島原外港駅に向かいました。島原鉄道が部分廃線となり、この駅が終着駅となり、またこの駅にもユニークな木造駅舎が建っていたものですが、失火で失われてしまいました。昔を知っている者としては、ホームにささやかな待合所が載っただけの姿に侘しさを覚えます。
そして僅か一駅で、今回の旅の最大の目的、島原鉄道の南島原駅に到着しました。
プラットホームに降り立つと、長い軒が伸びる古駅舎のしっとしとした佇まいが、早くも心に響きました。つい昨日までは立派に役目を果たしていた現役の駅舎でした。しかし、関係者以外立ち入り禁止の札が吊るされたロープが巡らされ、まるで囚われの駅舎のよう。使命を終えた現実を突きつけられます。
仮駅舎を通り、駅舎の正面にまわりました。1913年(大正2年)築の木造駅舎は、横長の威風堂々とした佇まいで、洋館風の造りは、レトロな木造校舎のよう。全てが素晴らしく映りました。必死の努力で維持される木造駅舎もある中、これ程の駅舎を何とか残せなかかったのでしょうか…。この駅舎は島原鉄道に残った唯一のレトロ駅舎で、一度は保存される事になっていただけに残念でなりません。
駅舎内部は待合室の他、駅長室も公開されていました。特に後者は一般人がまず入れない場所だけに、窓口裏側などを興味深く眺めます。しかし、ふと見回すと、駅員さんが消え静まり返りもぬけの殻となった室内に気が付き、どうしようもない寂しさが心を過ぎります。
かつては駅員さんが身を休めた休憩室、宿直室。ここまでは公開されていませんでしたが、窓越しにパチリ!
昨日までは乗降客で賑わった待合室と切符売場…。
惜しんでも惜しみ足りない南島原駅の駅舎を振り切りように列車に乗り、数駅の大三東駅で下車しました。読み方は「おおみさき」で、難読駅です。
下車した瞬間、まるで海の上にプラットホームがあるのかと思う程、紺碧の有明海が眼前に迫ります。一瞬にして心奪われ、いつしか感嘆の声が漏れ出て、そして晴れ晴れしい気分させられました。海の向こうには熊本県の山並みが続いています。昼前まではあちら側に…。意外と近い?だけど有明海の雄大さを存分に体感できます。
小さな駅舎…、と言うか上りホームの東屋のような待合所が駅の出入り口になっています。
諫早駅でJR長崎本線の列車に乗り換え、東へ向かいました。有明海の奥の方にある諫早湾沿いにレールが続き、列車は時折、海を掠め快走します。
小長井駅で停車した時、車窓の外に見える海の風景がきれいだったので、思わずカメラを取り出し撮影。
そして、この辺にを通るならやはりこの駅で降りたい!…と思い、肥前七浦駅で下車しました。約4年半振りの訪問です。
午後5時半前で、冬のこの時期、東海地方ではもう日が沈み、すっかり暗くなっている頃ですが、西の九州はまだ夕暮れ時。南島原駅のように失われる駅舎もありますが、こうして趣き深いこの駅舎に再び会いまみえる事ができるのは嬉しいものと、夕陽で染め上げられる駅舎を見てしみじみと思いました。
肥前七浦駅駅舎の面白い所は、かつての駅事務室が改修され待合所として開放されている所です。恐らくは、初夏に駅近くの干潟で開催される鹿島ガタリンピックの乗降客のため、このように改装されたのでしょう。待合室には人々で賑わう駅の写真も展示されていました。
旧駅事務室内は窓口周りが主に改修されているものの、その割によく昔のままの造りを残し、各種の掲示物など有人駅時代の物が残されたままだったのが、往時を彷彿とさせたのです。しかし今回、何故かそれらの多くが無くなっていました。残っていたのは重そうな金庫と数点の掲示物だけ…。撤去されたのか、まさか盗難に遭ってしまったのでしょうか…。その点だけが少し残念でした。素朴な駅舎は相変わらず印象的だったのですが。
あれこれ見ているうちに、徐々に暗くなっていき、駅はいつしか夜の闇に包まれました。何台かの車がやって来て、眩しいほどのヘッドライトを照らしながら駅前に留まっています。しばらくすると普通列車が到着し、車内からは家路にある学生がぞろぞと下車し、駅をいっとき賑わしました。何人かは駐車していた車に乗り込み駅から離れました。そして、私独りを残した駅には再び静寂が戻りました。
(※駅と駅舎の旅写真館・肥前七浦駅訪問記)
[2015年(平成27年) 2月訪問]
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