写真と心の中に刻まれた、ある日の旅のワンシーン…
鉄道と列車、駅舎巡り、エアラインと言った乗り物系の他、旅で訪れた街の風景、気になるモノ、宿泊したホテルなんかも綴った旅行記ブログ。日本全国、たまに海外へ…
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佐賀県伊万里市に肥前長野という駅があります。JR九州・筑肥線の末端区間にある駅で、年月を経た雰囲気が滲み出た味わい深い木造駅舎が残っています。
ただ…、ろくな改修も施されてこなかったであろう駅舎は、寂れ古び過ぎあちこちボロボロで、待合室や旧駅事務室は多くの廃品に占拠され、廃虚の様相さえ呈していました。そのため、駅鉄や乗り鉄など鉄道ファンには、肥前長野駅は廃虚のような駅舎がある駅として知られるようになりました。
こちらが2005年当時の肥前長野駅の待合室です。
(※関連ページ・駅と駅舎の旅写真館: 肥前長野駅訪問記)
私は全駅には到底及びませんが、日本中の古駅舎を巡る旅してきました。改修前の中塩田駅(上田電鉄)、弘南鉄道のかつての新里駅、富山地鉄の横江駅、下段駅など、ボロいなあと感じる駅舎はありましたが、肥前長野駅ほど強烈な駅舎は他に無く、私の中ではまさに「日本一のボロ駅舎」でした。この駅舎の末路は廃れるままに身を任せ、そしてある日、ひっそりと取り壊されるんだろうなと思っていました。
しかし、肥前長野駅駅舎が改修されたという情報に接しました。えっ! あの駅舎が!? と意表を突かれ大いに驚かされました。 ウェブで情報を当たってみると、確かに改修されているようでした。日本一のボロ駅舎というインパクトがあっても、やはり改修されるのはレトロ駅舎好きにとっては嬉しい事。ここはぜひ自分の目で確かめたいと思い、2015年の6月末に訪れてみました。
現地で実際に目のあたりにすると、見違える程、良い状態になっていました。
しかし、この旅の驚きはこれで終わりませんでした。翌日、訪れた某駅の荒廃振りを目にし唖然とさせられました。同時に、保全された肥前長野駅を思い浮かべ、これは日本一のボロ駅舎の座という称号は完全に交代したなと実感しました。
まず、筑肥線・肥前長野駅から見ていきましょう。2005年2月、2010年5月、そして今回の2015年6月で3回目の訪問になります。
開業時の1935年(昭和10年)以来でしょうか?窓枠まで木製のままとよく原形を留め味わい深いですが、古色蒼然とし過ぎているのは否めません。wikipediaによると「駅舎は地元が買い取った」との事。その辺がJR九州が手出しできなかった…、結果として駅舎改築がされなく、ぎりぎりの状態で存えた理由だったのかもしれません。
外壁の下部が新しい木の板に取り替えられていました。以前は一部が破損していて、中の造りを覗き込んだものでした。古くくすんだ駅舎に白々とした新しい木がまぶしく映ります。
冒頭の写真のように、待合室はタバコの自販機や布張りが腐ったソファーなど粗大ゴミが置かれた廃品倉庫と化していました。しかし、すっかり片付けられました。そのため、昔のままの窓口跡が日の目を見ました。窓口がここまで昔のままの造りを留めている木造駅舎は、もうごく少数…。素晴らしい!
旧駅事務室内もかつては、待合室以上に乱雑に物が放置され、まるで大きなゴミ箱のようでした。しかし、今ではすっきりしましたものです。鍵が掛けられていなく自由に出入りできるので、興味津々に原形を保った室内を見回りました。
駅舎にはこんな貼紙が…。この駅をこんなにきれいにしてくれた地元の人々に感謝感激です。
駅舎ホーム側の風景。木製のベンチや扉にペンキが塗られるなど修理されています。
改修され、廃品が撤去されると、外観から内部まで昔の造りをとても良く留め、私が思っている以上に古く趣き溢れる駅舎だと知り感慨を覚えました。ボロい、廃墟のようだと言われながらも、本当はこんなにも美しい駅舎だったのです。まるでみにくいアヒルの子のような駅舎です。
改修されたとは言え、まだあちこちで傷みは目立ちます。今後、ゆっくりでいいので、修理されていくと嬉しいです。これ以上は、高望みかもしれませんが…。
( ※駅と駅舎の旅写真館: 肥前長野駅~廃虚のようなオンボロ駅舎の10年後~)
そして肥前長野駅の印象が覚めやらぬ翌日、新たに日本一のボロ駅舎と思えるような駅舎にめぐり合ってしまいました。
その駅とは…
福岡県京都郡みやこ町にある
『平成筑豊鉄道・田川線、崎山駅』
(※注: 個人の感想です。)
崎山駅は1949年(昭和29年)4月29日、崎山信号所として設置されました。駅舎はその当時からのものです。1956年(昭和31年)8月1日に旅客駅に昇格しました。
元は信号所として設置されたためか、上下線で互い違いの千鳥式に配されたプラットホームが接するあたりに、駅舎が設置されています。駅舎は2階てと言えるような構造で、おそらく2階には駅構内を見渡し運行を管理する部屋だったのでしょう。その隣りの中2階の位置に、待合室、出札口と言った旅客関連施設が設置されています。
駅舎ホーム側の扉のガラスが割れたままで、荒んだ雰囲気が漂います。その中にカメラを入れ内部を撮影しました。撮影した画像を見ると、中はがらんどうでした。そして天井が壊れ屋根の骨組みが露わになっていました。
外に出て駅舎を正面から見渡しました。こうして見ると、戦前の木の質感露わな駅舎とも違います。造りとしては、この先の高度成長期に量産された国鉄のコンクリート駅舎っぽいシンプルな感じです。信号所という運行業務上の目的から設置された事を考えると、この駅舎が機能重視のシンプルな形になった理由なのかもと思えます。二つの時代の過渡期にある戦後派の木造駅舎は、こうして見ると悪くなく、むしろなかなかいいものです。
しかしよく見ると、えぇっ!!? と我が目を疑うような状態なのに気付きました。
駅舎左側の待合室・出札口部分の窓が上すぼみのように歪んでいてます。よく見ると、この部分全体が歪んでいるようです。地震に遭ったら危ないのではと心配になってきます。
この部分の歪みと先ほどの内部のみをもって、日本一のボロ駅舎とまではさすが言えません。しかし、自転車置場に隠れた1階の内部を窓越しに凝視すると、大きな衝撃を受けました。
内部は何と植物に侵食されていたのでした。何だコレは!! 晴天とは言え妙に薄暗かったのは、そのためでもあったのでしょう。外からはつる植物が絡みつき、腐食した床からも植物が生え育っているのでしょう…。とても人が居られる環境ではなく、完全に植物達の占領下となった室内はグロテスクで、目を逸らしたい気持ちになりまし。
駅舎側面を見ると、つる植物が2階部分まで這い上っていました。1階部分の壊れた扉からしゃがんで中を覗くと、やはり葉っぱだらけ…。
2階の窓はガラスが割れ、屋根も何ヶ所も小さな穴が開き、いくつもの日差しが漏れていました。
しかし待合室部分は古さを感じるとは言え、きれいに保たれていて、列車を待つのが苦になりません。
ボロ駅舎の風格?溢れ、インパクトは強烈で、肥前長野駅にとって代わるに不足無い存在です。しかし、戦後派の木造駅舎として興味深い造りです。また信号所の設備も併設した駅舎は個性的で、長い千鳥式配置のプラットホームを持つ構内など、田川線が石炭輸送で賑わった頃の面影を留める貴重な存在で、保全すれば面白い存在になると思うのですが…。このままで数年内に倒壊していまうのではないかと心配です。
[2015年6月訪問]
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