写真と心の中に刻まれた、ある日の旅のワンシーン…
鉄道と列車、駅舎巡り、エアラインと言った乗り物系の他、旅で訪れた街の風景、気になるモノ、宿泊したホテルなんかも綴った旅行記ブログ。日本全国、たまに海外へ…
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6月、飯田線の湯谷温泉駅の木造駅舎解体のニュースが飛び込んで来ました。
湯谷温泉駅は、前身の鳳来寺鉄道時代の1923年(大正3年)に開業し、駅舎に同社直営の宿泊施設が併設されていて、その当時からの木造駅舎が残っている事で知られていました。
私が湯谷温泉駅を初めて訪れたのは2003年の3月でした。
宿泊施設を併設していた頃の面影を残す大柄で個性的な駅舎。そして使い古された木の質感の素晴らしさ!この木造駅舎すっかり魅了されました。この頃はまだ簡易委託駅で、駅舎1階の左隅に売店で切符も販売していました。改めて見ると、この頃はまだ駅舎が活かされていたと感じます。
(※この時の訪問記は駅と駅舎の旅写真館の湯谷温泉駅訪問記までどうぞ)
2007年7月、2回目訪問時。もう売店は撤退してしまったようで、シャッターが閉じられた駅舎はもの寂しげな廃墟のような雰囲気。でも、左下の軒下には、時刻表など、列車に関する一通りの案内が掲示され、駅的な機能が集約された感じに。
2014年7月、3回目訪問時。相変わらずシャッターは閉じられていますが、外壁に補修が入ったようで、真新しい輝くような木と、使い古された木の質感は歴然。
ウィキペディアの湯谷温泉駅のページによると、2015年の4月1日に簡易委託が終了し、再び無人駅に戻ったとの事。
7月から解体される湯谷温泉駅の駅舎。どうなっているのだろうと思い、7月中旬、行ってみる事にしました。もしかしたら、最後の対面が叶うかもしれないと期待して…
あの木造駅舎はまだ健在でした。
ただ…
工事用のフェンスや幕に周囲は覆われ、もう見られない状態に。まだそこにあるのに見られいのがもどかしく、幕の隙間やフェンスの間から何度も覗くように見て、存在を確かめました。
そして約半月後、行く末を見届けたくて、再び訪れてみる事に…
本格的な取壊し工事が始まってどれだけたったのでしょうか…。幕の右半分が欠け、空や山の緑が透けて見えるような感覚が不思議であり、ああ、ついに失われてしまうのかという実感しました。
観光客を歓迎した大きなゲートの向こうに、あの大柄な木造駅舎はもうありません。
取壊しの工事現場に近づくと、あの古く味わい深かった木々がゴミのように放り出されていました。
工事現場には、腐りボロボロになった畳が山積みにされ、宿が閉鎖されてからの年月を物語っています。客室は、昔の宿らしく和室だったようですね。
1階部分と2階部分。やはりスケールの大きい木造駅舎だったんだなとしみじみと感じました。
2階部分。柱に丸太が使われているのが目を引きました。
私の目の前で、重機は容赦なく駅舎を叩き壊していきます。
30分位ひと休みし、去り際に、そして最後にもう一度だけ、駅舎を見に行ってみました。
ついさっきまであった、2階の壁や1階部分が取り壊されてていました。見たところ、8~9割程度、解体は進んだようで、あと数日もすれば、完全に崩れ落ちてしまうのでしょう。
大好きだったあの大きな木造駅舎が、こんな小さな姿になっていくのを見るのは辛いです。ですが、大好きだったからこそ、最期の姿をこの目に焼き付けたいと思い、看取るような気持ちで、訪れました。
湯谷温泉駅の駅舎は残念ながら守れませんでしたが、野田城駅をはじめ、飯田線のその他の古く味わいある駅舎は、せめて末永くあれと願います。
[2019年(令和元年)7月訪問)] (愛知県新城市)
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