写真と心の中に刻まれた、ある日の旅のワンシーン…
鉄道と列車、駅舎巡り、エアラインと言った乗り物系の他、旅で訪れた街の風景、気になるモノ、宿泊したホテルなんかも綴った旅行記ブログ。日本全国、たまに海外へ…
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3泊4日で北海道を旅してきました。きっかけはゴールデンボンバー全国ツアーの中標津公演を見るためでした。中標津町民の皆様には失礼ながら
「あんな所、行くかーーー!!(賞賛)」
と、とても驚きました。思い出ある中標津の公演は絶対見たいと思い、それに加えて鉄旅も満喫してきました。
その旅の迷シーン!?のハイライトをお届けします。
1日目は飛行機を乗り継ぎ中標津へ。昼の新千歳発中標津行きのANAのフライトは。何人もの金爆ファンが…
そして金爆ライブ。喜矢武さん渾身の「令和」の人間習字と金テープ。
2日目と3日目の前半は標津線の廃線跡を探索。
中標津市街地に残る廃線跡。厚床、標茶への分岐点近く、標茶方面への中標津駅‐当幌駅間。
市街地外れ、中標津駅‐上武佐駅間の廃線跡。
都会でもない中標津の街中では、線路跡のような中途半端な土地は転用しづらいのか、何気に残っていますが、そうでない人里離れた部分は、廃線から30年も経つと、地図で道路という記号で痕跡が記されていても、ほとんど原野に還りつつあるようです…
3日目は木造駅舎など、当時の駅がほぼそのまま残された奥行臼駅へ。十数年前の冬も訪れたのですが、除雪されていなく駅に近づく事ができず、遠巻きに見るだけでした。今回、やっと足を踏み入れる事ができ、待合室内部や西春別駅から移築された浴場など、駅構内を堪能できました。
道を更に奥に進むと、別海村営軌道のターンテーブル跡、自走客車や機関車が静態保存されている車庫跡があります。
そして標津線代替バスで花咲線の厚床駅へ。この旅でこれまでは廃線跡ばかり見ていたので、輝くレールや気動車のエンジン音など、鉄道の気配を体感し、どこかホッとした気分になりました。
かつては標津線も乗り入れた島式のホームが荒れたまま残っています。雑草に覆われ、雄大な原野に取り込まれつつある荒涼とした風景を、ただ呆然とした気持ちで見つめました。
(※画像をクリックすると、より大きな画像をご覧いただけます。)
日本最東端の駅、東根室駅へ。根室駅から1.5kmと市街地の中にあり、「朝礼台」ホームも立派な?2両編成対応の長さ。
東根室駅からは街中を歩いて根室駅へ。根室名物B級グルメ・エスカロップを食べ、上り最終列車に乗り釧路駅へ。
最終日4日目は、花咲線をふらふらするように駅巡りしました。
花咲線で、今や僅かとなった古い木造駅舎が残る上尾幌駅で下車。ホームや駅前の花壇には花がきれいに植えられ、無人駅となりながらも、親しまれている駅と実感します。
これが上尾幌駅の木造駅舎!!…の模型です。地元の福祉系NPO法人の方々が製作したもので、雪が積もったほのぼのとした情景に癒される一品。
時間があったので、ひと駅、釧路方面に折り返し別保駅で下車。駅前の公園でまったり…。
車内から途切れることの無い緑豊かな風景をたのしみつつ列車に揺られました。
そして木造駅舎が残る茶内駅で下車。十数年前、列車交換でこの駅で少し降りた時、駅舎は鮮やかなオレンジ色でしたが、がらりと変わり、明るい緑色に!唐突過ぎる変り様にびっくり。
糸魚沢駅の駅舎無き後、花咲線には古く趣きある駅舎は失われてしまったといっていい状態。しかし茶内駅の駅舎をじっくり見ると、歴史感じる造りをあちこちに残し、これはこれで捨てたものではありません。塗装が大きく変わったのは、大切にされているからこそ、手入れされたのでしょう。この駅で降りて良かったです。
花咲線の駅巡りを終え、あとは釧路空港から帰るだけ。フライトまでまだ時間があり、空港バスは根室本線の大楽毛駅も経由するので、締めの駅巡りに勤しみます。
釧路から二駅の新大楽毛駅。1面1線のホームに小さな待合室がある、ローカル線の典型的な無人駅ですが、両側に路線に沿うように、長く広大な空地が続いているのが印象的です。
そしてひとつ戻り新富士駅へ。市郊外の工業地帯と言った風情で、JR貨物の釧路貨物駅もあります。
外に出て駅の方を見ました。パッと見ると、赤い構造物の方が駅舎に思えますが、実は右側のか細い通路っぽい階段が駅への通路。新富士駅に駅舎は無く、ホーム上にガラス張りの待合室があるだけで旅客駅としては簡素です。いかつい赤い構造物は、近隣の製紙工場のベルトコンベアーの一部で、駅構内を跨線橋のごとくオーバーパスし、反対側の工場まで続いています。
この後、大楽毛駅→釧路空港→羽田空港→東京駅、そして夜行バスのドリーム号という経路で、無事に帰宅しました。
[2019年(令和元年) 4月訪問]
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