写真と心の中に刻まれた、ある日の旅のワンシーン…
鉄道と列車、駅舎巡り、エアラインと言った乗り物系の他、旅で訪れた街の風景、気になるモノ、宿泊したホテルなんかも綴った旅行記ブログ。日本全国、たまに海外へ…
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「今年2019年の桜はどの駅で愉しもうか…」
色々思案しつつ、割と近場にありながら意外と足を伸ばしていなかった、紀勢本線の三重県南部区間に行く事にしました。今年2月に中国・成都を旅しましたが、去年11月末以来、4ヶ月振りの駅巡りの旅でわくわくしまます。
平成から新時代へ…、新しい元号が発表される4月1日、新しい旅の友、フジフィルムのX-T3と友に特急南紀に乗り込みました。
昼前に熊野市駅に到着し、一駅戻り大泊駅へ…。
桜を期待しての旅だったのですが、この地域ではまだ早かったようで、駅前を賑わす桜並木の蕾はまだ固く閉ざされたまま。通りかかった地元の老婦人に「まだだねぇ…」と話しかけられ、一緒に桜を見上げました。
大泊駅は海にほど近い山の斜面にある駅で、坂を下り少し歩くと開けた街に出ました。
海水浴場がある小さな街なのですが、海に面した街は荒れる海の危険に晒される事を意味しています。そのため昔から備えは万全のようで、住宅地はコンクリートの堤防で囲まれていました。壁に民家が囲まれた街の風景は、まるで進撃の巨人の世界を垣間見た気分。
そして普通列車で再び下り、4駅の神志山駅で下車しました。待合室の中に入ると…
昔の木のままの造りを残した見事な窓口の台にびっくり!一気に気分が高まり、誰もいない無人駅である事をいい事に、観察しまくりの写真取りまくり。窓口がシャッターに改修されているのがやや惜しい気もしますが、低い方の手小荷物窓口の方のシャッター面に「JR東海をよろしく」と大きく書かれているのが目を引きます。「よろしく」と書かれている事を考えると、国鉄がJRへと民営化された昭和末期である昭和62年(1987年)4月1日前後に書かれたのでしょうか…。そう思うと、時代を感じる事ができ、これはこれで悪くありません。
神志山駅には改修された木造駅舎が現役ですが、古民家風…、もしくは山荘風といった感じの造りを随所に残す個性的な木造駅舎。
この時間の紀勢本線下り列車は4時間近い間隔が空いているので、次の駅には三重交通のバスで向かいました。
バスに揺られる事約20分、鵜殿駅前停留所で下車しました。
少し探すと、鵜殿駅を発見。改修された木造駅舎が現役。
新建材で味わいはいまひとつとと思いながらホーム側に出ると、木枠の窓と、砂利を混ぜたコンクリートの腰壁とレトロな造りを残していました。
鵜殿駅は2013年まで、JRの貨物列車や近隣の工場への専用線が運用されていたため、広い側線跡を有しています。今ではレールは剥がされがらんとしてかつての賑わいを感じるのみ…。
ふた駅戻り、阿田和駅へ…。立派な木造モルタル駅舎が残っています。
熊野駅前でちょっと買ったお菓子を食べて以来、何も食べていなかったので、すぐ近くにある道の駅・パーク七里御浜と併設されているスーパーマーケットで食事を調達しに一目散(笑)
駅前の商店跡にはハンバーガーの廃自動販売機が。こっちが稼動していたら、こっちでも良かったのですが…。正直、美味しくは無いのですが、昭和レトロな懐かしの味です。
食料を調達し安心すると駅の観察へ。駅の枯池の撮影に勤しむ私。
さて、この駅から帰路につく訳ですが、熊野市駅で1時間、特急南紀を待つより、先行する普通列車で行ける所まで行って南紀に乗り換えても帰着時間は同じで、僅かながらも特急料金の節約になるので、約2時間半、普通列車に揺られる事に。
ロングシートの車内で遠慮がちに柿の葉寿司を食べると、眠気がまわり夕陽射す車内でひたすらウトウト…。
そしてこの日、最後の下車駅の三瀬谷駅。すっかり暗くなり、夜空はすっかり雨模様。
三瀬谷駅の駅前を少し歩いてみました。無人駅ですが大台町の中心駅で、駅舎のある北側は、銀行や飲食店がありますが、全体的にひっそりとした住宅街の雰囲気。後で調べると、南側の方に役場やスーパーなど色々な施設が集まっていたようです。
駅に戻ってきました。駅舎外観は新築のように改修されていますが、ホーム側の柱を見ていると、軒を支える何本もの柱は木のままでした。交換された部分…、金属や木材があてがわれ補強された部分…。新建材で改修された面白味のない駅舎だなあと第一印象を抱いていたのですが、古い駅舎が懸命に使われている事に気づかされました。
[2019年4月訪問]
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