写真と心の中に刻まれた、ある日の旅のワンシーン…
鉄道と列車、駅舎巡り、エアラインと言った乗り物系の他、旅で訪れた街の風景、気になるモノ、宿泊したホテルなんかも綴った旅行記ブログ。日本全国、たまに海外へ…
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11月末に、駅舎復原工事中の門司港駅に行ってきました。
1891年(明治24年)に九州鉄道の門司駅として開業ました。対岸の山口県下関駅とは連絡船で結ばれ、九州の玄関口として賑わいました。
そんな重要な地位の駅だからでしょうか。1914年(大正3年)の移転時に建てられた駅舎は、ターミナル駅の威厳に満ちた2階建ての洋風木造駅舎でした。
1942年(昭和17年)に関門トンネルが開通すると、駅名は門司港駅に改称され、メインルートから外れました。そのおかげか、時代が戦後から高度経済成長期へ移りゆき、多くの主要駅の駅舎が取り壊されてゆく中、門司港駅の駅舎は残り続け、1988年(昭和63年)には駅舎として初の重要文化財に指定されました。
築100年を迎えようとしている中、本格的な駅舎保存工事が施される事になりました。2012年(平成24年)9月29日に、駅舎は閉鎖され、仮駅舎での営業に移行となりました。長い冬眠に入ったような心境でしたが、次の時代に歴史ある駅舎を渡すためのしばし我慢の時…
こちらは1990年代前半に訪れた時の門司港駅の写真。築80数年の頃。その頃、駅舎に興味は無かったですが、さすがに門司港駅駅舎の偉大さは知っていて、わざわざ見に訪れたものです。
まだ工事中は続いていて、グランドオープンは2019年3月の予定。しかし、2018年(平成30年)11月10日に、JR九州は完成部分を先行リニューアルオープンさせました。
当日は関門連絡線を偲ぶように、下関から船で渡ってきました。
駅前広場はフェンスで囲まれています。しかし駅舎の外観はかなり進んでいました。フェンスより高くカメラを掲げ撮影。
真正面に立つと、威風堂々とした…、されど大正ロマンを蘇らせたような瀟洒さに圧倒されました。
中に入ります…
駅舎1階部分の改札口や切符売場などコンコース部分。私の記憶と比較すると、大きく構造は変えられていないような気がします。だけどピカピカ。
再現された切符売場は芸術品の域!窓口がたくさんあり、いちばんこの駅が賑わった頃を髣髴とさせます。しかし、切符売場の機能としては、隅に2台の券売機が埋め込まれているだけです。みどりの窓口は隣の別室にあります。
改札口への動線をはさんで、反対側には手小荷物窓口まで木で再現されていました。
どれだけきれいに復原されても、なによりも素晴らしいのがそれが実際に駅として使われている事。人々がレトロな駅舎を行き交う風景にしびれます!
先ほどの切符売場の左隣には、みどりの窓口が設置されています。こちらも凄い仕上がり。鏡のように室内を映す木の天井が完成ホヤホヤなのを印象付けます。
みどりの窓口の片隅にはレトロな暖炉の跡が残っていました。
暖炉の造りの中に「西洋料理喫茶所 REFRESHMENTS UPSTAIRS」という古びた案内板が組み込まれていました。3月のグランドオープン時には、往時、2階で営業していた食堂をイメージしたレストランも開店するとの事で、楽しみです。
いろいろレトロに仕上げられあていますが、みどりの窓口の窓を見ると、古い木枠のまま。浮き出た木目に門司港駅の歴史を感じさせます。
すこし駅構内を歩いてみました。
トイレの近くには「帰り水」と呼ばれるレトロな水場があります。復員などで海外から門司港に入港した人々が喉を潤したので、いつしかそう呼ばれるようになったとか…
重厚な洋風木造駅舎に付属する、行き止まり櫛形ホームは、いまだ九州の玄関口だった風情を漂わせています。
プラットホームの隅にはかつての関門連絡船への乗り換え通路の遺構も残っています。横のコンクリートの壁には、戦中、軍の命令で作った、渡航者を監視するための覗き穴の跡も残っています。
3、4番線の背後には九州の鉄道の起点を示す記念碑「0哩標 (ゼロマイル標)」が設置されています。その手前には「幸福の泉」という小さな泉が設置されていました。中には幸福を願って投げ入れられたたくさんの小銭がきらきらと輝いていました。
[2018年(平成30年)11月訪問] (福岡県北九州市)
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