写真と心の中に刻まれた、ある日の旅のワンシーン…
鉄道と列車、駅舎巡り、エアラインと言った乗り物系の他、旅で訪れた街の風景、気になるモノ、宿泊したホテルなんかも綴った旅行記ブログ。日本全国、たまに海外へ…
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ほぼ未乗の美祢線にでも乗ってみようと、めぼしい古駅舎が無いか、調べてみました。すると、途中駅10駅中7駅で、古い木造駅舎が残っている事を知りました。木の質感溢れる木造駅舎ではなさそうなのがやや残念ながらなも、これは意外な結果。
計画の段階でどの駅の下車するかちょっと迷いつつ、7時34分、厚狭駅から美祢線経由の東萩行きの列車で旅のスタート!車窓はすぐにローカル線ののどかな風景となり、厚狭から二駅目の厚保駅で下車しました。読み方は「あつ」の難読駅です。
降り立つと、プラットホームは高い木々に囲まれ、駅でないような風景が目の前に広がりました。
軒を支える木の柱が、朝日に映え浮かび上がる風景が、改修されながらなおも佇む木造駅舎の深みを感じさせます。
駅舎を正面から眺めてみました、新建材で改修されているものの、屋根が高くやや大柄な木造駅舎が現役。無人駅ですが、かつての駅事務室が、地域交流ステーションとして利用されています。
厚保駅で降りたのにはこの駅舎はもちろん、近場に見たいものがあったからです。それを見に、ちょっと離れ歩きました。
厚狭川を渡り歩くと、人家や学校が現れ人里に入ったと実感する雰囲気に。厚保駅は街の外れに立地しているようです。そして20分ほど迷いつつ歩き、立ち並ぶ建物の中から、一際古い建物が頭ひとつ飛び抜けているのが目に入りました。
目的の建物の裏口のようです。蔦や草がぼうぼうで完全に廃墟と化しています。そして、その建物の正面にまわってみました。
その廃墟は旧厚保郵便局の局舎だった建築物です。
洋風のモダンな造りが洒落ていて、車寄せ部分の郵便マーク(〒)や、厚保郵便局と標された扉の窓部分が、廃墟と化した現在でも、かつては郵便局であった事を強く印象付けます。
内部は荒れていながらも、郵便局窓口の造りを残していました。
側面からも内部を見てみると、荒れきり、障子がボロボロになった畳敷きの部屋がありました。かつての休憩室、もしくは住居部分だったのでしょうか…?
物凄い建物という訳ではないですが、ユニークな建築物で是非保存をと思います。しかし、個人所有の場合、一個人の力で建築物を維持していくのは不可能なのでしょう…。きっとこのまま朽ちていき、限界が来たら取り壊される運命なのでしょう。
厚保郵便局の旧局舎に見入っている内に時間が過ぎてしまい、急いで厚保駅に向かいました。しかし、美祢線の路線が見えた頃に、無情にも川の向こうに長門市行きの列車が走り去っていく所。何と乗り遅れという失態!あと2分早く着けば…。全力でダッシュすればと思いましたが、そんな気力は…。
時刻表を見ると、次の列車は上下とも2時間後で、どうしようと戸惑いました。この駅で2時間過ごしても良かったのですが、次の四郎ヶ原駅までは約3kmなので、歩く事にしました。
四郎ヶ原駅までの道…、主に県道33号線はあまり面白味がない風景で、駅間徒歩も退屈に思いつつ早足になりました。
でも何で、このへんのガードレールは黄色いの!!??
駅巡りで何とかなる列車本数と、計画が狂っても、代わりとなる木造駅舎があるのが美祢線のいい所と気分を変え、四郎ヶ原駅を目指しひたすら歩きました。
[2018年(平成30年) 2月訪問]
美祢線駅巡りの旅、後編はこちらへ
『美祢線の木造駅舎を巡りつつ栄枯盛衰に思い馳せる…』
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