写真と心の中に刻まれた、ある日の旅のワンシーン…
鉄道と列車、駅舎巡り、エアラインと言った乗り物系の他、旅で訪れた街の風景、気になるモノ、宿泊したホテルなんかも綴った旅行記ブログ。日本全国、たまに海外へ…
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ロシア旅行の印象覚めやらぬまま、今度は長野電鉄を日帰りで訪れました。…というのも、私の好きな木造駅舎の1つ、長野電鉄・長野線の信濃竹原駅で待合室を利用した写真展が開催されるからです。
駅の待合室で写真の展示ってよくありそうなんですが、この信濃竹原駅の木造駅舎、15年以上も前に使用停止されて以来、取り壊される訳でもなく、長年、閉鎖状態が続いていました。
ところが2015年、ノスタルジックな佇まいが注目され、観光特急ゆけむり~のんびり号~の停車駅になり、その時に久しぶりに待合室が一般に開放されました。過去2回の訪問では、すぐそこにありながら窓越しに中を覗くだけだった待合室が、遂に日の目を見る時が来て、是非訪れたいと思ったものですが、残念ながら、この時は訪問する事ができませんでした。
しかし再びやってきた機会に今度こそはと思い訪れる事にしました。
当日、長野電鉄のいくつかの駅を訪れて、昼過ぎに信濃竹原駅に降り立ちました。
「おお!扉が開け放たれている!!」
初めてこの駅を訪れてから13年。念願だった当たり前のような光景に感慨を覚えました。
お楽しみは後とばかりに、少しまわりをぶらついてから、遂に内部に足を踏み入れました。
15年以上も、時の流れから遮断され封じ込めら続けた待合室は、昔のままの姿を留めていました。元々、昔の造りをよく残していたのでしょう。その中にいると、数十年先の、古き良き昭和の時代にまで遡った感覚に陥ります。
そんな駅の空間を活かして、春夏秋冬、長野電鉄の味わい深い風景をとらえた作品が展示されていました。出展しているのは鉄道写真家の米屋こうじ氏とアマチュアお二方。
出札口も窓の外から眺めた時のまま。古い運賃票は2012年に廃止された屋代線だけでなく、2002年に廃止された木島線のものまで。窓口やその周囲には、かつて信濃竹原駅で使われいた備品の数々が展示されていました。
手小荷物窓口跡では、写真展開催を記念した台紙付きの硬券切符セットや、駅名標のキーホルダーと言った品々が販売されていました。台紙には信濃竹原駅の略歴も記載されています。目を引くのが1998年の長野冬季オリンピックで、この信濃竹原駅が志賀高原会場へのシャトルバスの乗り換え駅として利用されていた事で、信濃竹原駅行きの臨時列車も運行されたとの事。硬券は入場券、乗車券、特急券の7枚がセットになっていて、昭和47年当時の信濃竹原駅の写真が入った入場券が目を引きました。あと、私の好きな夜間瀬駅への乗車券もありました。これはいい記念!一部購入しました。
ちょっと駅舎の周辺にも目を向けてみましょう…
閉塞機室とも呼ばれる駅舎ホーム側の出っ張り部分は、浮き出た木目が複雑にうねり、私の目を強く引きつけました。
信濃竹原駅は閉鎖状態だった木造駅舎だけでなく、宿直施設や側線跡の貨物上屋など昔の駅施設も残っている事も特筆すべき駅です。件の記念切符の台紙によると、1979年に貨物営業が、1983年に手小荷物営業が廃止されたとの事。それから30年以上過ぎているにも関わらず、よく残っていたものです。しかし、この十数年でより廃れています。ここまで手を回すのは難しいのでしょうが、貴重な鉄道遺産だけに、何とか保全できればいいのですが…
駅構内を眺めていると、貨物ホーム跡の横を、特急ゆけむり号が通過していきました。元小田急のロマンスカー(特急)で使われていたHiSEこと10000形、長野電鉄では1000系と呼ばれる特急車両です。この他にも、特急スノーモンキーでは、元成田エクスプレス車の253系こと、2100系電車が利用されています。二つの特急車両は、この旅で何度も目にし、今ではすっかり長野電鉄にの風景に馴染んでいるのがとても印象的に映りました。
[2018年9月訪問](長野県中野市)
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