写真と心の中に刻まれた、ある日の旅のワンシーン…
鉄道と列車、駅舎巡り、エアラインと言った乗り物系の他、旅で訪れた街の風景、気になるモノ、宿泊したホテルなんかも綴った旅行記ブログ。日本全国、たまに海外へ…
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初めてロシアを旅したのは二十数年前の1990年中ごろ…
当時、ロシアと聞いて思い浮かべるのが、やはりソビエト連邦でした。共産党旧主派によるゴルバチョフ書記長軟禁にはじまるクーデターが発生しました。
しかし、エリツィン氏に鼓舞され立ち上がった民衆がやがて大きなうねりとなり、ソ連崩壊に繋がりました。アメリカと並び超大国と称された国が崩壊するという教科書に載る歴史が、今まさに私が生きている時代に起こっている事は大きな衝撃で、推移を興味深く見守ったものでした。
崩壊前のソ連の経済は低迷にあえいでいました。当時のニュースでは、売場に商品がほとんど無い食料品店の映像が、ソ連経済の混乱を象徴する場面としてよく流されていました。
経済改革の過程では、アメリカ経済と文化の象徴とも言えるマクドナルドがモスクワ市内にオープンした事も、ニュースで大きく取り上げられていました。マクドナルドが出来るだけで、こんなニュースになるなんてと、社会主義経済が私達とは異質な世界なんだなと、ひどく不思議に思ったものです。
ロシア連邦成立から数年後、私はロシアを旅していました。社会主義経済から資本主義経済の変化で、いち旅行者の目には見えない問題は何かとあったのかもしれませんが、モスクワやサンクトペテルブルグを眺め歩いている分には混乱は無く、街は平静さを取り戻していたようでした。
街中にはアイスクリームやジュースなどを売る露店があちこちにありました。大抵、パラソルの下に、車輪が付いた移動式のクーラーボックスを止めてというスタイルだったように記憶しています。
露店にはコーラを販売している店も多かったです。こうしてコーラが街中で普通に売られている風景に、ソ連からロシアへの時代の移り変わりを実感したものです。売っているのは日本のように缶ではなく瓶でした。
買ったその場でラッパ飲みしていると、もう瓶が空になろうかという時に、お年よりが微笑みながら近づき私の前に立ち、そして手を伸ばしてきました。触ってくる訳でも無く、もちろんスリなど何かを企んでいるふうでもなく、動作はそこで止まっていました。ロシア語はさっぱり解りません。キョトンとしてしまいましたが、何を言いたかったかは、何となく察する事ができました。
「そのビン、下さい」
と…。
断る理由は無いので、瓶はあげました。
そういう場面はその1回だけでなく、また次も、別の場所でも…。露店でジュースを買い飲んでいると、必ずお年寄りが近づいてきては、飲み終わった後の瓶を要求するのでした。
多分、リサイクルで瓶を販売店に返すと、一本につき数円程度のごく小額ですが、お金を手にする事ができるのでしょう。ああ、きっとソ連からロシアへの変化は、年金暮らしのお年寄りにとって、生活し辛いものになっているのだと感じました。社会主義時代は、きっと死ぬまで年金などの社会保障が充実していたのでしょうが、資本主義経済の導入で、昔ほどの保障では無くなっているのでしょう…。そこで、空き瓶を僅かながらでも生活の足しにしていたのでしょう。
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