写真と心の中に刻まれた、ある日の旅のワンシーン…
鉄道と列車、駅舎巡り、エアラインと言った乗り物系の他、旅で訪れた街の風景、気になるモノ、宿泊したホテルなんかも綴った旅行記ブログ。日本全国、たまに海外へ…
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佐賀県内、JR九州・佐世保線の主要駅であり、松浦鉄道・西九州線の起点・終点でもある有田駅。そして有田駅より三駅北の松浦鉄道の蔵宿駅。この二駅の構内には、廃れた池のあるミニ庭園跡が残っています
JR有田駅1番ホームにある池庭跡。白いタケノコのようなものが添えられていますが、有田駅が豪華クルーズトレイン・ななつ星の停車駅になったのを記念して飾られた有田焼のオブジェだそうです。池が枯れてもう長いのでしょうが、植木の手入れはたまにされいるのか、緑豊かで庭園としての体裁はまだ保っています。どうせなら池を復活させたほうが、ななつ星の乗客も喜びそうですし、より見栄えのする駅となると思うのですが…。
こちらが松浦鉄道・蔵宿駅の池庭跡です。松浦鉄道はかつての国鉄・JRの松浦線で、1988年4月1日に今の第3セクター鉄道に転換されました。
一見、解らないですが、木々や草が密集している手前に、枯れた池の跡が残っています。無人駅となり池は枯れ果てていますが、昔は緑豊かな庭園だった事が想像できます。
昔は駅に、このような池のあるミニ庭園=池庭が造られてる事は、たいして珍しくなかったと思われます。しかし現在では、多くが池は枯れ荒れてしまっています。
(※関連ページ: 駅と駅舎の旅写真館・駅の+枯池(+池庭) )
2015年6月、蔵宿駅に訪問した際、これらの池庭跡に、意外過ぎる同じようなモノがあるのに気付きました。
とりあえず有田駅、蔵宿駅の池庭跡に添えられた石碑をご覧下さい…。
有田駅の石碑の碑文。要約すると
「1964年の東海道新幹線開通と東京オリンピック開催を記念して、当時の有田駅全職員でこの庭園を造った...」
と書いてあります。
そしてこちらが蔵宿駅の石碑。文ではないのですが、銘板に
「東京オリンピック 東海道新幹線開通 記念」
と記されています。
そう、この二つの池庭は1964年(昭和39年)、戦後の日本復興を象徴する2大事業である東海道新幹線開通と東京オリンピック開催を記念して造園されたようです。有田駅の方は前回訪問の2010年に石碑の存在に気付いていたのですが、2015年6月、蔵宿駅でも同じような石碑を発見し、大いに驚かされました。
有田駅の石碑には、この他にも、この碑文の隣に駅員さんの名前一覧と部外協力者の名前が標されたプレートも埋め込まれています。かたや蔵宿駅の方にも、石碑の裏面に駅員さん一覧と部外協力者の名前が標されています。
戦争で傷ついた中から立ち上がり、そのマイルストーンのような2大事業を控え、いかに当時の人々の喜びが大きかったかを、この小さな石碑に実感させられます。特に新幹線は、まだそのレールが達しない九州にあっても、鉄道員として、敗戦国日本が世界最高の鉄道を作り上げた事は大きな喜びであり、誇りでもあったのでしょう。そして、その喜びから九州に新幹線のレールが達するまで10年を要します
家に帰って有田駅と蔵宿駅の碑文を見てみると、両駅の部外協力者一覧の中に、同じ名前が1つあるのに気付きました。この方は、有田駅池庭の由来を記したあの碑文本文の中で、あえて名前を出してまで謝意を述べられています。おそらく庭師さんで、専門業者の立場から、助言や指導をしたのかもしれません。
両池庭の造園時期を記念碑から見てみると、蔵宿駅の方が1964年7月完成と書かれています。有田駅の方は10月14日完成で、完成まで50余日掛かったとも書かれています。逆算すると8月の下旬頃から作庭に取り掛かった事になります。完成は蔵宿駅の池庭の方が先で、約3ヶ月遅れて有田駅の方が完成した事になります。東海道新幹線の開通が10月1日で、東京五輪の開会が10月10日、閉会が10月24日なので、有田駅の方は、両者のスタートには間に合わなかったけど、オリンピックの閉会式には何とか間に合った格好です。
それにしても、なんで「池庭」という同じ手段で、1964年の喜びを表わしたのでしょう…?
有田駅の池庭に関しては、かつて朝日新聞系のウェブサイトで記事になった事があります。それによると、作庭の動機について
「日本全体が盛り上がっている中、殺風景だった駅の景観を良くしようと、庭造りが趣味だった職員が中心になってつくったんです。」との事。
私は不思議と1つの事を思い出していました。それはかつて、NHKの熱中時間という番組に、駅の池庭跡をネタに出た時、南海電鉄でロケをしたのですが、その時、同行してくれた南海社員の方に、南海電鉄の駅に池庭が多い理由について質問してみました。すると
「どこかがやったら、ウチの駅もウチの駅もと真似をしていったんじゃないでしょうかね。ウチは何でも2番煎じですから~(笑)」
...と自虐も交えユーモラスに社員さんなりの見解を答えてくれました。
現在、伊万里駅で、松浦鉄道とJR筑肥線の駅が完全に分断されている光景を目にすると忘れてしまいそうですが、有田駅、蔵宿駅とも、かつては同じ国鉄だった長い歴史があります。そして松浦線がJRから第3セクター転換し、1989年3月11日に三代橋駅が出来るまでは、両駅は3.8km離れただけの隣同士でした。なので、業務連絡も密に取り合っていた事でしょう。気心知れた同じ地域の鉄道員同士、そういったやり取りのついでに、蔵宿駅で駅員自ら庭園を造っているという話がくっついて来て、有田駅駅員さんの耳に入ったのではないでしょうか。そこでもうちょっと駅に和みをと漠然と思っていた有田駅の駅員さん達が、じゃあうちでもという話になり、同じ庭師さんに協力を仰いだのではないでしょうか...。
全くの見当違いかもしれません。でも石碑の駅員さんや部外協力者の方の名前が綴られたプレートを見ると、同じような素材...、おそらくは有田焼の陶板と思われます。そこが何とも有田焼で有名な有田町らしくていいものです。そして両駅の池庭が造られるきっかけとなった東海道新幹線の開業と、東京オリンピック開催...。そのため両駅の池庭には兄弟と言える趣さえ感じさせます。
※両駅の池庭について詳しくは、前出の駅の枯池(+池庭)の以下のページをどうぞ。
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