写真と心の中に刻まれた、ある日の旅のワンシーン…
鉄道と列車、駅舎巡り、エアラインと言った乗り物系の他、旅で訪れた街の風景、気になるモノ、宿泊したホテルなんかも綴った旅行記ブログ。日本全国、たまに海外へ…
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岡山県方面に日帰りで行ってきました。
きっかけは、吉備線・備前一宮駅の木造駅舎の取り壊し。この駅舎は1944年(昭和19年)の国有化以前、中国鉄道時代からのもので、特に中国鉄道の社章が入った瓦が残っている事がよく知られています。
取り壊しは2008年9月下旬で、待った無し。急遽、旅に出ることを決めました。
(※山陽新聞;「岡山県内最古級の駅舎・備前一宮駅が9月下旬取り壊し」(現在、記事削除))
取り壊しまであと10日位かという頃、備前一宮駅を訪れました。出札口、待合室、窓など、改修箇所は多いですが、木造駅舎らしい木の質感を十分に感じられます。間もなく取り壊しとなる事が報じられているためか、私の他に数人の見学者がいました。
中国鉄道の社紋入りのこの屋根瓦でしょう。取り壊しとなっても、この瓦は何らかの形で新駅舎に残して欲しいものです。
こうして古き駅が列車と人々を送るのもあと数えるほど…。備前一宮駅の駅舎の取り壊しを持って、吉備線では木造駅舎といった古駅舎は全滅となってしまいます。
この日はローカル線の小駅とは言え、備前一宮駅は大賑わい。岡山行きの列車には多くの人が乗り込みました。岡山市の通勤圏内という事もあるのでしょうが、価格が上がり続けるガソリン代のため、自動車の利用を控え、吉備線にという事なのでしょうか…
(※駅と駅舎の旅写真館: 備前一宮駅旧駅舎訪問記)
その後は、このまま吉備線の西端の終着駅の総社駅までに抜けようかと思っていました。しかし列車が服部駅に停車した時、気になるモノを見つけたので、一つ行き過ぎた東総社駅で下車しました。
折り返しの列車まで時間があったので、駅周辺をぶらぶら散策していると、洋風建築の建物を発見。しかも玄関には丸ポストが!この建物は1910(明治43)年に総社警察署として建築され、現在は総社市まちかど郷土館となり、総社市の歴史を伝える写真やものが展示されています。中国鉄道時代の吉備線の写真や時刻表も展示してあり、興味深く見学しました。
街並みなど、そこはかとなく古いものが残っている東総社駅付近の散策を楽しみ、例の「気になるモノ」を見に吉備線の上り列車で逆行し、服部駅へ向かいました。
これが例の気になるもの…。なんとなく駅舎っぽい建物です。この入母屋屋根のように、建物の周りに回廊のように軒を巡らすのは昔の木造駅舎によくある造りで、津山線の建部駅と同じ構造です。津山線と吉備線は元々、中国鉄道が開業させた路線なので、駅舎に共通の造りが採用されたとしてもおかしくありません。これは沿線で駅舎として使われていた建物なのでないかと思いました。
実は、前出のまちかど郷土館に居る時、係員の人が何か知ってるかもと思って質問しました。すると、元々は服部駅だったけど、農業用倉庫として払い下げられたものだとか…。やはり!何と!これは服部駅の木造駅舎だった建物!!
屋根には、備前一宮駅のものとはちょっと違いますが「中」の文字が入った瓦があります。
備前一宮駅の取り壊しで、吉備線の木造駅舎は全滅かと思い残念に思っていました。しかし、意外な形で忘れ形見が残っているもので、今回の旅でいちばんの発見となりました。
その後は津山線に行きました。
福渡駅。新建材とかで改修されていて新築駅舎のようですが、中国鉄道時代の明治42年…、何と1909年のもうあと数年で100歳の木造駅舎!
福渡駅は現在こそ岡山市北区ですが、旧建部町の中心駅で、駅前にはこじんまりとした街並みが広がっています。若い人がやってるお洒落なレストランで遅めの昼食を取りました。
そして建部駅にやってきました。こちらも中国鉄道時代の1900年(明治33年)築の木造駅舎が現役。窓口は古い造りのままで、窓枠も木のままの素朴で趣きある木造駅舎です。2004年に初めて訪問した時は痛みが目立ったのですが、登録有形文化財に指定され、きれいにリニューアルされました。タクシー会社の事務所として使われ、ここで切符の販売も行う簡易委託駅です。
建部駅で特筆すべきは昭和28年10月の建物財産標がある木造の駅員宿舎が現存していることです。その様はまるで駅舎にくっついている古い民家のよう。かつては駅長さん一家が住んでいたのでしょう。
この駅員宿舎のもっとすごいのが今でも立派に使われている所。しかし、今では、タクシー会社の関係者の方でしょうか?その中では、人が生活している様子が伝わってきます。もうすぐ夕方で、窓からはカンカンカンと包丁がまな板を叩く音が聞こえ、美味しそうな料理の匂いが漂ってきました。
図らずもこの旅は吉備線、津山線の前身である中国鉄道の忘れ形見を巡る旅になりました。惜しくも備前一宮駅の駅舎は取り壊されてしまいます。しかし建部駅、福渡駅、思いがけず残存していた服部駅の旧駅舎、そして今回訪れなかった津山線の玉柏駅、弓削駅と言ってた改修されながらも使い継がれている駅舎が末永くあらん事を祈っています。
[2008年9月訪問]
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